2008年8月11日

伊藤野枝(Art Random)

28年7ヶ月と26日の生涯
伊藤野枝Noe Ito   【婦人運動家、アナーキスト】
(1895.01.21~1923.09.16)虐殺---獅子座
福岡県糸島郡今宿村の没落した海産問屋・伊藤興吉(瓦職人の伊藤亀吉?)、ウメ夫妻の長女として誕生。本名はノヱ。
その文才は高等小学校から教師を驚嘆させ、それは、当時有名な小説家・村上浪六でさえ舌をまくほどもであったといわれている。
1911年(16歳)東京上野女学校を卒業後、親の決めた結婚を拒み同校の英語教師辻潤と結婚。
1912年(17歳)3月、上野女学校を卒業。同校の英語教師・辻潤と同棲を始める。
1913年(18歳)9月、辻潤との間に長男・一(まこと)が生まれる。11月、「青踏社」に加わる。
1914年(19歳)『近代思想』を愛読。大杉栄との交際が始まる。東雲堂書店からエマ・ゴールドマンの『婦人解放の悲劇』を訳出版。
1915年(20歳)『青踏』の編集兼発行人になる。事実上の責任者として女性解放運動に参加。このころより大杉栄に接近。11月、辻潤との次男・流二が生まれる。
1916年(21歳)4月、辻潤の家を出て、大杉栄との同棲を始めアナーキズム運動、労働運動を推進。1917年(22歳)9月─大杉との間に長女・魔子が生まれる。
1918年(23歳)1月、大杉とともに『文明批評』を創刊。
1919年(24歳)2月、北風会を結成。10月、近藤憲二、大杉らとともに『労働運動』を創刊。12月─次女・エマ誕生。
1920年(25歳)12月、「日本社会主義者同盟」創立。
1921年(26歳)3月、三女・エマ誕生。1922年(27歳)6月─四女・ルイズ誕生。1923年(28歳)8月─長男・ネストル誕生。
1923年9月16日、関東大震災時に大杉(38歳)、橘宗一とともに麹町憲兵隊に虐殺される。(甘粕事件)
6人の子どもを生み育てながらも、この偉業。何とも凄い28年の人生。記念すべき1500人目の登場人物は、だいぶ前から伊藤野枝と決めておりました。
¶:出典・情報源・参考文献・参考サイト:「nennpu2」(2004.09.16掲載)

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