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1近代文明の未来を考えるヒント〈亜周辺〉とは文明史において、その文明を成立させた地域の外側で、その文明の強制を受けることなく、その文明の諸要素を自由に受け入れた地域、具体的にはユーラシア大陸の西端の西ヨーロッパと東端の日本を指すものである(ウィットフォーゲル)。そこでは、中心の文明に教条的に制約されることなく、先行する社会を下敷きにして、独自な文化を展開させることができた。この前近代の歴史において観察される文明のメカニズムから近代文明の未来を考える上でのヒントとして利用できるものがあるであろうか。言うまでもなく、近代文明の地域的区分においては〈亜周辺〉はない。近代には文明の外側は消えた。まず世界の覇権は「海洋国家」と「大陸国家」とに二分された。20 世紀には一時期、資本主義的な〈第一世界〉と社会主義を目指す〈第二世界〉、その他の低開発の〈第三世界〉とに区分され、その対決のなかで未来が考えられた。しかし、中国の迷走とソ連の瓦解は、この展望が妄想であることを明らかにし、世界のシステム的理解は僅かに〈中核〉〈半周辺〉〈周辺〉のウォーラーステインの図式が窓枠のように放置されているぐらいである。近代世界の混沌のなかでかくていま活気をもっているのは漢族の中華思想であり、ムスリムの自己主張であり、もしかするとモスクワを第三のローマとするスラヴの声が復活するやもしれない。あるいは、いまはカトリックによって統一されているけれども、インディオの復権(ボリバリスモ)の声が高まることもありうるだろう。しかも、ユーラシアの東西の伝統文明の〈周辺〉はなお近代世界の皮膜の下で、西はバルカン半島(ボスニア=ヘルツェゴヴィナからコソボまで)、東はインドシナ半島から朝鮮半島まで疼き続けてきたことも事実である。この近代世界の混沌のなかで、一時的に世界に秩序をもたらすかもしれぬと感じさせたアメリカ合衆国の覇権にももはや期待できぬようである。西ではヒトラーのホロコーストの罪は欧米がイスラエルを捨てることを許さないし、今やアメリカと対峙しうる唯一の強国となった中華帝国は日本より受けた屈辱の酸っぱいレモンをとことん搾りつくそうとしている。こうした状況では、いつ、どこで何が起っても不思議ではないと言える。しかしそれは驚くことのできる余地がなくなったということなのだろうか。マージナルな未明の空間へウェーバーによれば、新しい文化を生みだすことができるのは、文明の権力・威信に慣れすぎて、別に、と特に感じることを忘れているところにおいてではなく、不遜にも驚異する能力を残しているところにおいてであった。〈亜周辺〉の知識人のなかから突破者が生まれたのは、この能力が残っていたからである。ところで、いつどこで何が起ってもおかしくないということは、人類が限界まできた、またはフロンティアを失ったということであろうか。まさに、その反対である。ちょっとレンズを交換するならば、人類社会が地球上の生物の一種であり、世界的に有限の資源と環境のなかで生きていることが見えてくるだろう。新しいレンズを獲得するためには、知は権力であるがゆえに、近代の知のシステムを破壊する革命が必要である。それは知のファッションをなぞるだけではなく、それを背負いながら、マージナルな未明の空間を見つめることを許すだろう。ただし、それは断崖を行く覚悟を必要とするだろう。本と社会「人文ネットワーク」ニューズレター2008 年4 月1 日 第17 号●発行元人文ネットワーク●印 刷(株)新栄堂●編集制作(株)新評論編集部●事務局(株)新評論編集部内(担当:吉住)〒169-0051 東京都新宿区西早稲田3-16-28Tel.03-3202-7391 Fax. 03-3202-5832 E-mail: jinbun-net@shinhyoron.co.jp人文ネットワークは、読者・著訳者・編集者、さらにできれば書店・印刷所の方々とも連携して、我が国の人文書出版の現実、すなわち、単なる利便性や拙速性や広範性のみに腐心する本づくりの現状を批判し、その現実を改革しようという会です。私たちは、人文書が構想され制作され流通する現実的プロセスの全体を視野に収めつつ、特に制作プロセス、本づくりの現場に注目しながら―つまり我が国の出版の社会的現実における個々の人文書の具体的生産現場と切り離すことなく―、定期的な読書会を通して一冊の人文書を読解します。それは、人文書の内容の読解と、その社会的な現実存在の理解との連結です。当ネットワークは、本づくりのためにではなく、自らの本づくりのあり方を考え改革するために、まずは著訳者と編集者という当事者同士が出会う場として設定されました。私たちはこの作業を通して新たな現実的知性の発見を目指します。このニューズレターはこうした私たちの活動の一部をご紹介させて頂くものです。湯浅赳男『「東洋的専制主義」論の今日性』を書き終えて亜周辺と知識人ゆあさ・たけお1930 年山口県生まれ。新潟大学名誉教授。サラリーマン時代の1956年、ハンガリー事件に感動し歴史学を志す。処女作はロシア革命の真相解明を試みた『革命の軍隊』(68)。以後『経済人類学序説』(84)、『文明の中の水』(04)など数々の著作によって、《マルクス主義の方法的批判とその今日的問題への応用》という仕事を展開し続けている。特別寄稿甦るウィットフォーゲル「東洋的専制主義」論の今日性還ってきたウィットフォーゲル● 湯浅赳男著新評論 2007/11刊 354頁 3465円 ●〈中心‐周辺‐亜周辺〉という東西文明の三重構造をそれぞれの風土・政治構造との関係から定式化したウィットフォーゲル。時代の流れに抗い続けた知識人ウィットフォーゲルの“人と学問”に光をあて、東アジア関係史における〈大陸・半島・列島〉の応酬の核心に迫る。カール・アウグスト・ウィットフォーゲル(Karl August WITTFOGEL 1896-1988)ドイツ生まれ、米国亡命の歴史家。不世出の東洋史家にしてチャイナ=ウォッチャー。前期の大著『支那の経済と社会』(1931 平野義太郎監訳中央公論社 34)における風土条件を重視した国家分析が世界の知識人層に多大な影響を及ぼすも、「社会主義=専制官僚独裁」を体系的に理論化した後期の大著『オリエンタル・デスポティズム』(57 湯浅訳 新評論 91/95)によって、共産党とその影響下の知識人から総攻撃を受け、以後 89 年の国際共産主義運動の崩壊まで長らく学問的に封殺されてきた。その業績への再評価がいま内外で始まっている。
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2知識人の今日性湯浅 20世紀は社会主義の幻想が膨らんで潰える世紀だった。知識人という言葉はいまや廃語ですが、20世紀を考える場合、国際共産主義に真剣に取り組んだのがウィットフォーゲルです。コミュニズムは 20 世紀知識人を呪縛してきた。僕はやっぱりトロツキーが好きです。世界革命によって階級間の矛盾、民族間の矛盾、自然と人間の間の矛盾を永続的に解決してゆく。だが 20世紀はその意味で悲しいけど茶番。東洋的専制主義を再建したことだった。スターリンの一国主義はロシアにおけるもっともリアリティある政策でありトロツキーのような夢想家では敗北は必至だった。亜周辺というその特殊条件が資本主義成立をうながした。そう考えると亜周辺において資本主義の高度な発展がありマルクス主義はその条件の下で成立した思想だったともいえる。今は権力に対する憧れもないし恐怖もない。知識人を含めグズグズになった感じですね。権力のアンビバレントを自己の責任において引き受ける悪魔性をもった知識人がいないね。白石 この本の構えはあるものが甦ってきたこと。とりわけ社会主義と知識人は今日的問題となりえる。亡命知識人トニ・ネグリは 94年サパティスタ蜂起からユーロメーデーまでを振り返り「グッバイ・ミスター社会主義」という。小説家笙野頼子は、湯浅さんがいう「いかがわしい」左派知識人を「論蓄」と名指して論戦を挑んでいる。戦後思想は転向問題をずっとやってきたが、転向はコンヴァージョン。けれどもいっぽうでサブヴァージョン、つまり転覆があり、そしてさらにパーヴァージョンがある。倒錯=天邪鬼。ここにわれわれの知識人性、つまりデモクラティックな不服従の情動がやどり、それは良きものとして何度でも回帰する。入江 社会主義内部での論争も忘却され、たとえば社会主義的原蓄をいったプレオブラジェンスキーなどソヴィエトの 20 年代の論争は振り返られない。あるいは中国はみずからをどう規定するかで以前は自国を第三世界と位置づけたが、グローバル化の下、いまやそうしたことさえ忘れ去られようとする勢いですね。マルクス/マルクス主義湯浅 80 年代の初め頃、僕は今後は DasKapital ではなく、Das Macht が必要だといっていた。権力論。マルクス主義は商品、貨幣、資本はやったが権力はどうか。階級関係の維持とか階級支配の貫徹だけでなく、権力をそれ自体魅力あるものとして捉えないとダメ。権力をもてば人をひれ伏させることができるし人は強いものにひれ伏す。次の仕事として僕は権力論をやりたい。土屋 マルクスは産業革命に直面しその分析と認識論的枠組みから『資本論』を書き、マルクス主義はそれを世界図式として定式化した。だが実際はまだ『八十日間世界一周』の速度で『ナショナル・ジェオグラフィック』的。その際資本の力はグローバル世界内部からでなく国家の形をとった外部権力として行使された。定住/移動性の地域環境依存社会と離陸しつつある資本主義社会とが作りだす「ゲオポリティーク」の世界です。“情報が世界を組織する”今日のグローバル社会において初めて権力論の設定がマルクスの予言と重なり、資本の力が不気味でグロテスクな姿を現しつつあるのではないでしょうか。湯浅 アジア的生産様式について30~50年代を通じ論争があるが、僕なりの結論をいえば、マルクス主義は、生産様式について所有だとか人間的な隷属関係であるとか、やはりヨーロッパ的パラダイムで考えてきた。でもこの本でも繰り返したけど、まず国家ありきです。国家もまたずっとヨーロッパ的パラダイムで考えてきた。たとえば階級対立があって一定の生産力の上に国家は成立することになっ2007年12月1 日、早稲田奉仕園日本キリスト教会館において著者湯浅赳男氏(新潟大学名誉教授)を招いて、当会より土屋進、生江明、大野英士、白石嘉治、吉田秀登、永田淳、石黒りか、入江公康が参集。ウィットフォーゲルの思想、知識人のあり方、マルクス主義と国際主義など多様なテーマをはらんでの討論となった。(編集=入江)『「東洋的専制主義」論の今日性―還ってきたウィットフォーゲル』を読む“グローバルな”民主主義読 書 会土屋 進(中央大学他教員/現代思想)マルクスに起源を持つ「アジア的生産様式」は、マルクス主義が定式化した封建制度から資本主義へと単線的に進む進化史観の中では位置づけがたいものだった。それを正式に認めることは、社会が時間軸に沿って進化(変異)を遂げるのではなく、異なる自然文化条件が異なる生活組織原理を作り出すことを認めることに繋がるからだ。ウィットフォーゲルはこのアジア的生産様式に注目した。アジア的生産様式は灌漑という共同作業を通して東洋的専制という権力構造を生み出す。そしてその構造を維持したまま、中心―周辺―亜周辺の相互関係が作り出す世界の中で、支配者のみが変わっていく。こういった世界構成は、歴史を見れば実は広く見られることに気がつくだろう。たとえば古代インドでは、外部からやって来たアーリア族が農耕生産社会を征服し、自らをバラモン(支配者)としてカースト制度という権力構造を作り出した。こういった関係を精査すれば、定式化された単線的な社会進化という希望とは別のリアルな関係が社会を構成してきたことは明らかだろう。教条的イデオロギーが力を持った時代に、「異質な社会」の関係構造が世界を作り出していることを認めたウィットフォーゲルの理論は輝きを放つ。とはいえ、私たちは彼の理論を教条化すべきではない。というのも皮肉なことに、当時は空論に過ぎなかった「均質世界」が、情報化によって今ここに生まれているからだ。モノポリーな市場経済活動がさまざまな差異をそぎ落とし社会を組織するこの現代世界にもし彼が生きているとすれば、おそらく均質社会の権力構造をこそ、もっともリアルな社会構成の原理として考察するに違いない。生江 明(日本福祉大学教員/社会開発)1960年代後半からの 20年間、私は日本の農村を訪ね歩き、人々の暮らし方をひたすら追いかけていた。もちろん、本書(『今日性』)が触れる史的唯物論を学ばなかったわけではない。しかし、“法則としての歴史”という「正解」探しの歴史学や思想には、ある種の胡散臭さがあると見て、猥雑な現実そのものを読み込んでいく作業に専念していた。1980年代の後半から現在までは、日本を離れアジアからアフリカの諸地域を調査で歩いてきた。それは明確な目的意識を持ったものであるよりは、或る意味では羅針盤そのものを持たずに、ひたすら現地を歩き回り、そこで目にするものから当該社会を分析するというものであった。その間、1990年代の 10年は冷戦崩壊後のカーテンの向こう側を垣間見ることが多かった。カンボジア、ラオス、中国などの東側諸国やフィリピン、インドネシア、タイあるいは南アジアと歩きながら、私は東西という体制の違いよりも、近代という工業化社会特有の均質世界が、急速かつ強引な姿でこれら(或る意味で)辺境の地域に露呈しているように見えた。社会主義も資本主義も近代という方式の双子であるという感懐である。理念や理想という華麗な衣裳が自らの内部から生み出されていく社会ではなく、外側あるいは上から与えられてきた社会において、与えるものが消えてなくなれば、そこに現れるのは社会的絆を失ったむき出しの姿である。「規制緩和」の号令の下で、ありとあらゆるタガが外れ、“絆”としての掟が急速に溶解していく現代の世 界 化グローバリゼーションのなかで、私たちは“ヒューマン”の巨大な解体過程の前に曝されている。本書は、この過程を読み解いたあからさまな「解体宣言」である。そして、それは終結ではなく、恐ろしいことに「始まりの宣言」である。双子の近代、その解体の始まり人文ネットワーク新たな現実的知性の発見へ!ウィットフォーゲルのリアル
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3ている。でもそうでなく、農耕が成立して一挙に広大な農地を作りだす方法として大規模な治水灌漑があり、そこに国家成立をみるべき。農民が生産力を発展させ階級対立を作りだすには時間がかかるし、そんな余裕もない。だから遊牧民による征服の挿入が必要なんです。ウィットフォーゲルは慎重だから簡単にそうはいわない。でもきちんと読めば征服王朝論と水力社会論を並べて主張しています。古代文明がステップ遊牧民の征服によって作られた―国家から文明ができるというこのテーゼをマルクス主義はながらく受け入れてこず、またアジア的という地理的名称を用い、それを全般的奴隷制だとか位置づけたが、とにかく地理的な特殊性という観点を持ち込むと、それだけで人種主義、西欧中心主義と断じられる土壌があった。オリエント、古典古代、西ヨーロッパと中心部は移動する。中心、周辺、そして亜周辺があるという各々距離の問題がある。地政学の問題です。たとえばモンゴルからハンガリアまでつながっていて馬で 1 週間でいけることを考えねばモンゴル帝国は解明できない。吉田 おもしろいのは交通の問題をいわれたこと。たとえば馬の重要性。これは現在のオイルの問題ともつながる。資源と交通、その配置や技術的な問題。歴史を考える上で確かに見落とされがちです。永田 国家が文明をつくるという視点は、今ではかなり受け入れられるものになってきています。だが文明の唐突な出現が示すのは、時空間を変質するものが先に現れ、それを国家が保存したにすぎないということではないか。国家は維持するだけで発明はできない。だから先に現れたものとは何かを考えたい。国際主義/世界革命湯浅 ウィットフォーゲル思想の中心は国際主義。マルクスはなぜアジア的生産様式に関心をもったか。それは西欧だけで考えないということ。西欧だけで世界はわからない。万国の労働者諸君、団結せよという思想はいま消えてるね。革命は一国でできないという問題ですが、赤軍もそうした観点から捉える必要があった。国際主義も空語になったが、でも大事なのは国際連帯しかないということですね。白石 組織されない国際連帯がある。「革命的群衆」(G. ルフェーヴル)。WTO会議や G8サミット反対運動はそのようなものです。多国籍資本やエスタブリッシュメントは、民衆の国際化と群集化をこわがっている。亜周辺という考え方がおもしろいのは二項対立でなく第三項を置いたこと。グローバル化は世界の亜周辺化であったともいえないか。中心と周縁の葛藤による組織化でなく、世界そのものの群集化。ここに流れているものこそ支配への志向をはらまない倒錯的でデモクラティックな情動です。生江 社会主義の中でなぜ基本的人権のコンセプトがないのか。その意味で「国際主義」も党派的なものではなかったかという疑念も浮びます。アレントは 1950年前後に社会主義を問い直したが、グローバル化も世界のコンビニ化を目指すという意味では根底的には近代化に通ずるといえる。いずれにせよ民衆が主体性をもってもらっては困るということでは同じかもしれない。大野 マルクスは当時もっとも先進的な資本主義であったイギリスをひとつのモデルとして『資本論』を構想した。20 世紀において、資本主義が生きのびたのは、逆説的に社会主義という「外部」があったからではないか。ところが、いまやグローバリズムが完結し、世界全体が一つの資本主義圏に統合されてしまいました。D. ハーヴェイも指摘するように、中国やロシアも含め、グローバルな規模での資本の蓄積と絶対的窮乏化が進行していて、マルクスの予言はその点だけは当ってしまったともいえるのでは。湯浅 中国の 20年代、ペルーのマリアテギ、エジプトのアミンやアブデル・マリクについてやる人がほしいですね。亜周辺の思想としてのマルクス主義はそれらにより補完される必要がある。20世紀最大の思想はやはりマルクス主義ですから。新たな〈知識人〉の潜勢性マルクス主義、革命、そして国家と民衆、世界と民衆白石嘉治(上智大学他教員/文学)良きものだけが回帰する。だが、われわれのウィットフォーゲルが還ってきたのは、いかなる世界なのか?70年代以降、われわれが直面するのは資本主義の高度化ないし非物質化である。これを資本主義の「猛禽」化と呼んでみたい。「猛禽」とは『臨死 !!江古田ちゃん』(瀧波ユカリ、講談社)で示された概念だが、聞き上手で、猥談や放置にも寛容、さらに「ブサイクにもやさしい」女性の戦略的なハビトゥスをいう。かつての「ぶりっこ」が男性=社長にとって裏表のある、いわばフォーディズム期の労働者のようだったとすれば、「猛禽」はポストフォーディズム期の、コミュニケーションに特化した恋愛の労働にいそしむ従順なフリーターのようである。吉永小百合から「女子アナ」まで、資本と国家のスペクタクルが「猛禽」によって埋め尽くされているのは偶然ではない。映画『ぜんぶ、フィデルのせい』(ジュリー・ガヴラス監督)もはっきりと告げているように、こうした「猛禽」の画期をなすのは、いわゆる 68年の 5 月革命ではなく、73年 9 月 11日のチリのクーデタである。以後、新自由主義が疫病のように世界を覆い尽くす。物質的な財の交換のみならず、言語や情動といった非物質的なものまで、コミュニケーションの名のもと交換の対象となっていく。だが、そもそも言葉は贈与するものであり、感情の表現は交換ではない。にもかかわらず、コミュニケーションの、「猛禽」のロジックの浸透は強迫的である。それが今日の「生きづらさ」にほかならないし、70年代からサルコジ政権までつづく、知識人のネオリベラルな転向(ジャック・アタリの打ち出す規制緩和 ! )をもたらしているのだろう。そこにウィットフォーゲルは還ってきた。回帰しているのは知識人としての闘いそのものであり、問われているのは、言語や情動という、「猛禽」の交換の論理によって損なわれてはならない地平である。知識人の帰還と「猛禽」との闘い永田 淳(早稲田大学生協コーププラザブックセンター)還ってくるということ、それは憧れなしには起こりえない。死者が自ずから甦ってくることはなく、語り手が望むときにのみ、その出来事は起こるだろう。直接には経験しえないにもかかわらず、経験の統一性を維持しようとするものを歴史と呼ぶ以上、還ってくることが望まれる者の個別の声は、決して歴史の叙述に含まれない。それゆえ還ってくるという出来事は、語り手の願いが歴史の叙述を汚染し続ける文体として現れることになる。ジュール・ミシュレが「歴史は復活である」と言うとき、「彼は霊感に従って」(シャルル・ペギー)碑文に書かれた歴史から去り、雑音として響く、かつて現前した個別の声に耳を傾けている。そのときのミシュレは歴史から最も遠い歴史家かもしれないが、かつて確かに現前した者たちに最も近づく。彼は読むこと―たとい記録されていない声であっても―を時代錯誤的な出来事と捉え信じることで、出会うことができなかった者の声を直接に模倣―不可能なものの経験―することができたのだ。彼は民衆の個々の声を「霊感で」聞きながらフランス革命史を書き、そこに民衆たちが還ってきた。それは彼が確かな声を発した者たちに憧れていたからであり、声を発した者たちの細部を愛したからに違いない。(そしてこの憧れ=願望を通して還ってくる個別の声を聞く経験こそが、我々の民主主義を基礎づけるはずだ。)歴史学は表象する。しかし出来事は歴史に先行して起こっている。表象より表現が先なのだ。ところで表現するウィットフォーゲルは還ったか?我々の憧れはまだまだ十分ではないのである。還ってくる者たち人文ネットワークニューズレター 2008 年 4 月 1 日 第 17 号
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4situations“ 遺憾 ”の「専制官僚主義」蔵持不三也(早稲田大学教員/文化人類学)こんなこともあるのだろう―。先日、朝日新聞の社会面に、亡き友の遺影を見つけた。遺影の主は、その優しい人柄もあって、パリ留学時代から兄弟のように付き合い、F.ルークスの『肉体』(マルジュ社)の共訳者にもなってくれた信部保隆。1988年7 月23日、横須賀沖で原潜に衝突されて沈没した「第一富士丸」の犠牲者である。記事は、イージス艦「あたご」の海難事故に関する、彼の父と妹の写真入りのコメントだった。かつて辣腕弁護士として知られた老父のコメントは、怒りと悲しみを理性で抑えた穏やかな口調だったが、友の葬儀で泣きじゃくっていた兄想いの妹のそれは、またぞろ繰り返された事故へのやりきれなさを直截に吐露したものだった。懐かしい遺影は、その妹の傍らにさりげなく置かれていた。あれからおよそ 20 年。イージス艦の事故は、この国の防衛システムが「民」を犠牲にして成り立つという戦前からの負性の伝統を、改めてさらけ出した。「どれほどのハイテクも、所詮はヒューマン・エラーにかないませんよ」。一時期、私と同じ職場にいた安全工学の権威である黒田勲氏は、何かの集まりで同席した私にそう話してくれたことがあったが、ヒューマン・ファクターを防衛産業に譲り渡し、まぎれもない国家の犯罪を「遺憾」という常套句で糊塗しようとする官の論理は、残酷さを通り越してひたすら空しい。「専制官僚主義」(湯浅赳男)の醜怪な本質が、畢竟そこに露呈しているからだ。『「東洋的専制主義」論の今日性』を読む大野英士(早稲田大学他教員/文学)娼 婦 達 のうつろな瞳最近、バーニャ・ズーラヴィロフというロシア出身の若い女性イラストレーターがエロス・フェティッシュ系の展示では定評のある銀座の「ヴァニラ画廊」で個展を開いた。明らかに日本のマンガ文化やゴス系美学の影響を感じさせる細密画の技法を駆使して描いたその画面には、蒙古風の衣装を着て長髯をはやした醜悪な老爺が数人コーカサス系の風貌をした美しい少女の裸身に、好色な視線を向けている光景が頻出する。1991年のソ連崩壊時には11歳だったうら若い現代画家が現在に至るまでどんな経歴をたどったのか知るよしもないが、オリガルヒの暗躍するマフィア経済によって翻弄される現代のロシアの若い世代の不安と絶望、退廃を形象するまがまがしいこの悪夢の中にも、数百年を隔てたモンゴル専制支配の恐怖が刻まれているのだろうか? 私にこんなうがった感想を抱かせたのも、湯浅赳男によるウィットフォーゲル論『「東洋的専制主義」論の今日性』によって受けた強烈なインパクトがあったからに他ならない。世界の文明は、灌漑水力を大規模に組織する強大な専制的官僚組織とそのもとでの単一中心的構造をもった「水力社会」から発生した。そして、そこから直接的な支配を受けてこれを派生させた「周辺」の外側に、さらに「亜周辺」をつくりだした。しかも、世界の歴史の中で多中心的な構造をもつウェーバーが定義した意味での「封建社会」を築き得たのは、水力的文明からの直接の支配を受けることなく自主的に文明を摂取した東西の「亜周辺」、すなわち西ヨーロッパと日本のみであり、その事が、両地域をして近代における資本主義の自立的・自発的発達を可能にした。湯浅によれば、マルクスの『資本論』はこの亜周辺で発生した西欧的資本主義の成立を分析した「特殊理論」に過ぎず、ウィットフォーゲルの「東洋的専制主義」論こそ、20世紀の資本主義/「社会主義」の対立を解明する「一般理論」となる。しかし湯浅の『今日性』の妙味は、むしろ「20世紀知識人の知的ファッション」のもつ魔力に対する綿密かつ周到な分析にある。湯浅は、世界最初の「労働者国家」を自称したスターリニスト=ソ連が、1991年の「野垂れ死に」まで、いや、その後までも、左翼知識人あるいは「進歩的文化人」の間にどれだけ強い幻想をふりまいたか、そして彼ら左翼知識人がその迷妄ゆえにコミンテルンの「第 5 列」にまでなりさがり、ウィットフォーゲルの業績をいかに故意に無視してきたか、その原因をマルクス・レーニン主義の成立にまで踏み込んで探り、それを超え得た数少ない新たなパラダイムの創出者として、ウィットフォーゲルと、日本においては梅棹忠夫を顕彰するのである。湯浅赳男の圧倒的な学知と透徹した論理には敬服する他はない。しかし、「ウィットフォーゲル論」という制約はあるにせよ、湯浅の議論からは、五月革命以後、最近の反グローバリズム=オールタナティヴ運動に至る、その後の左翼運動が、反スターリニズムを主要な前提として出発したという視点がすっぽり抜け落ちている。そもそも、スターリニストの「社会主義」が打倒されなければならなかったのは、平等と自由の二つながらの実現という彼らのかかげた革命の「理想」を裏切ったからではないのか?「社会主義」という対抗世界の桎梏を脱し、金融化し高度化した「ネオリベラリズム」という名の野蛮な資本主義が、D. ハーヴェイも指摘するように、ロシア、中国をも巻き込んで弱者を踏みにじる「本源的な蓄積」に狂奔し、グローバルなレベルでの「絶対的窮乏化」を招いてる現在、ウィットフォーゲルの「一般理論」もふまえつつ、新たな批判と抵抗を可能にする学知こそが求められているのではないだろうか?私の脳裏にはズーラヴィロフの少女達と、ソ連崩壊以後、パリの外周道路ににわかに目立つようになったロシア・東欧系の若い娼婦達のうつろな瞳とが重なるのである。編集後記 学生時代、戦前出版された『支那の経済と社会』(ウィットフォーゲル)を古本屋でみて安かったので買い「西欧マルクス主義」による中国分析とはどんなものか理解の一助にしようとした。だが読もうとして投げだした。気候風土や農耕技術、古い王朝の話から書き起こされたそれは正直冗長に感じたのだ。その意図や背景など知る由もなく読み解く知識などあるべくもなかったが、それ以上に読み続けるというある種の愚直さを欠いたÌ「知識人」という言葉を初めて使用したのは『オロール』記者だったクレマンソーだが、それがドレフュス事件に際しドレフュス擁護派の人々を指したことは知られている。「知識人」―それゆえ“民主主義”と深く関わり、こういってよければ“スキャンダル”を作る人々、俗論に流されず毅然と意見を表明しようとする。信念に対しある種の“愚直さ”が存在せねばそうした営為は不可能だÌ冷戦終結以後、世界は資本主義一色に染められた。逆に“主義”は失笑すら買い、それをいうのは「ドン・キホーテ」的果断を必要としたが、「知識人」に果断的要素は不可欠であろう。そうであるがゆえウィットフォーゲルの理論的営為と行動は何事かわれわれに教えずにはいない。専制に対する最大の抵抗はやはり愚直な“民主主義”の肯定なのだから。(入江公康 文教大学他教員/社会学)思索が開花する社会へ!人文ネットワークESSAY桑田禮彰(駒澤大学教員/現代思想)20世紀は全体主義的政治によって知識人が翻弄された時代であった。ナチズム下のドイツ、スターリン主義下のソ連、毛沢東主義下の中国、ポルポト主義下のカンボジア等において、全体主義的政治は知識人に大規模な動員をかけると同時に徹底的な弾圧を加えている。知識人は現代の政治現実の主要な構成要素になっている。だからこそ標的となり翻弄された。全体主義的政治は知的体質を備えている。典型がスターリン主義下のソ連であり、周知のように、マルクス主義の理論を支えとするこの社会主義国家はコミンテルンを通じ世界的規模で知識人を動員・管理・弾圧した。それはたんなるデモへの誘いや委員会への招請ではなく、きわめて学術的な動員、知識人の存在の核心に触れる動員であった。動員に応じた知識人は、自らの学術活動の外で政治参加するのではなく、その活動の真っ只中で政治参加し自らの学術活動を社会主義建設に直接生かせると感じたのである。したがって彼らは、自らの本来の職分の名において責任が追及される。強制収容所などソ連の現実は隠されていたとしよう。しかし、全体主義的政治に対する学術的抵抗、しかも本質的な抵抗が存在した。ウィットフォーゲルによるそれである。彼はソ連の理論的支柱をあくまでも学術的に衝いた。その支柱とはマルクスの史的唯物論、特に封建制›資本制›共産制というその歴史発展図式のロシアにおける適用可能性である。ウィットフォーゲルは、ロシアにおける封建制の不在を確認し、この図式の適用可能性を認めず、かえってロシアにおける歴史の停滞とその歴史貫通的・持続的な専制主義的性格を指摘した。学術研究はウィットフォーゲルとともに、強制収容所の暴露以前にソ連の全体主義的体質を見抜いていたのだ。この稀有な学術的抵抗と、それを無視・抑圧・排除した学術研究者たちの責任のはかりしれない重さを記憶に留めよう。状況雑感複眼書評

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